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明るいうちだと川の渡渉は怖くも何とも無いですね。









この名前、見覚え有りますが、確か値段高かったはず。

(ビーチ沿いにバーが設置されていて、いかにもお金持ってそうな方々がゆったりと過ごされておりました)








あ、ここは売りに出てる。

ってことは、「Laguna Silvestre Lodge」も潰れたのかもしれませんね。









こんなところにハナジロハナグマの群れ。









タイミングよく海が見える所で日没を迎えました。









2011年、最後の夕陽です。

水平線に沈むところが見られてラッキーでした。









さて、後はプエルトヒメネスで宿探しをするだけです。

(例によって柵から出ていた牛)









この渡渉後の登りが大変でした。


四駆モードにしていたのに勢いが足りずに途中でスタックしてしまい、仕方なしに一旦バックしようとしたら、右の崩落地帯に車が流れ始めた時には冷や汗が出ました。









ふぅ、ジムニーと言えども油断大敵ですね。


その後、久しぶりの対向車とすれ違うことになったのですが、なんであの車は避けないんだろうと思ったら、実は右側に避けなければならないのは自分の方でした。


悪路ばかり走っていてすっかり忘れて、左車線走行モードになってました。










そして、こんなところでついにスコールが降って来ました。



ワイパーが追いつかないぐらいの雨で、ただでさえペースが上がらないのに、さらにゆっくり走るハメになりました。

あと、窓を開けられないのが辛いです。(エアコンつけると寒すぎるし、つけないと蒸し暑いし、やはり窓を開けて走りたいんですよね)


これで雷まで鳴り始めたらちょっとヤバイのですが、そこまででは無いみたいなので積乱雲としても小ぶりなんだろうと判断しました。




視界が悪い中を走っていると突然凸凹地帯が始まり、車ごと派手にジャンプしてお尻から激しく落ちました。こんな経験、大学生の時に軽自動車に乗っていた時以来です。(ジムニーはホイールベースが短いからジャンプしやすいんでしょうね)


急な上り坂では後輪が流れるので、カウンターを当てながら登っていきます。まるでFR車みたいな味付けなんですね。



その後、一台タクシーとすれ違ったんですが、当たり前のように四駆(エスクード)でした。お互い草むらに片足を突っ込みながらすれ違いました。




しばらくしてスコールも止み、ペースを元に戻して走っていきます。









カラテ周辺のコテージでサービスしているホーストレッキング用の馬ですかね?










やはり川は橋で渡るもんです。









右側の立派な塀、南アフリカとかでも見た牧場の入口だと思います。









空腹に耐え切れず、本日4個目のコモパンを食べてしまいました。









へぇ〜、この道に分岐なんてあったんだ。



と、この看板を撮影しようと下ってきた急坂をバックで登ろうとした所、後輪が空転してどうにも登り返せません。


これって、完全にFRの挙動なのですが、私はたしかに「4WD」のボタンを押してますから、車自体は四駆モードに入っているはずです。

まさかバックする時は四駆にならないとか、、、いや、それは絶対に変ですよね。








何回か勢いをつけてバックし、ようやく撮影したのが上の写真です。


右に消えるように伸びているのが分岐した道です。
(たぶん、その先に小さな集落があるんだと思います)




その後、降り口と登り口で方向が変わる川があったのですが、下る時は川底しかライトが照らさないので登り口がわからず、川の真ん中でどっちに進むのか確認するために減速したら川のど真ん中でスタックしかかり、かなり焦りました。





プエルトヒメネス手前の牧場地帯は多少道が良くなるのですが、それで気を良くして走っていると、突然登場する凸凹の回避が間に合わず、ジムニーごと空高く放り上げられることを数回繰り返しました。



さらに、なんとなく左車線の方が状態が良さそうだったので、対向車も来ないのでそちらに寄せて走っていたら、道が左肩下がりになっていて、側溝に向かって車が流れ始めた時にはむちゃくちゃ焦りました。












そんな感じだったので、プエルトヒメネスに到着した時には心底安堵しました。(19:15)









大晦日の夜ではありますが、スーパーもガソリンスタンドもまだまだ営業してますね。


これならビビってガソリン入れまくらなくても全然大丈夫でした。
(いや、そのぐらいの用意周到さの方がが良いのです)




さて、宿さがしですが、スーパーやガソリンスタンドはすぐに見つかりましたが、安宿がどこにあるのかさっぱりわかりません。


一応、ラ・セルバに宿泊したときにこんなこともあろうかと、いくつか候補の宿を調べてあるのですが(って、このページの宿情報だけですが)狙っていた宿が長距離バスの停留所近くにあるというので、チャイパッドの表示されているバス停辺りを走ってみたのですが見当たりません。



一軒それっぽい建物があったのですが、鉄の柵に覆われていてまるで刑務所みたいで入る勇気が出ませんでした。


もう一度街の中心部を回ってみたのですが、やはり見当たらないので、何やら群衆ができていたところに車を進め、そこに居た日焼けしたお兄さんに「Cabinas The Corner」という宿の名前を言って、どこにあるか尋ねてみます。



すると、「あぁ、それなら、すぐそこにあるからついて来い」


という感じのスペイン語で返事をしてくれ歩き始めたので、慌ててUターンして着いて行きます。










案内されたのは例の刑務所のような建物でした。



まぁ、宿なんだし入っただけで襲われるってこともないでしょうから、まずは入ってみることにしました。




入ってみると、白髪交じりでアジア系の血も混じっていそうな顔立ちの小柄なおばあちゃんが受付に立ってます。


おばあちゃんに今晩泊まりたい旨を告げると、最初は私の英語のせいで話がなかなか通じなかったのですが、なんとか通じたらしく「相部屋なら空いてるよ。1人5000コロン(約800円弱)ね」とのこと。


事前にネットで調べていた価格よりちょいとお高いんですが、大晦日ってこともあるでしょうから即決しました。


できればドルで払いたかったのですが、コロンのみの受付ということで、コロンで支払いました。明日すぐにでも、もう一度ATMで下ろさないとコロンが全然足りなくなってしまいました。



上の写真に写っている場所にジムニーを停める時は、おばあちゃん自ら出てきてバックしすぎて脱輪しないように案内してくれたり、宿の使い方の説明も丁寧で(って、説明がスペイン語なので、なんとなくしかわからないのですが)、なかなか好感の持てる宿です。





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本日の歩行&走行ログです。





一昨日、検問で荷物は車の中に残しておかないようにと言われていたので、すべての荷物を引っ張り出して部屋に運びこむことにします。



荷物を車から下ろしていると、おばあちゃんが声をかけてきたので振り返ると、横には若くてかわいらしい女性が一名立っています。


何事かと思ったら、彼女は娘さんなのだとか。


娘さんは英語が話せるらしく、どうやら通訳としておばあちゃんが呼んで来たみたいです。


というわけで、彼女を介しておばあちゃんと会話をします。


「コスタリカはどう?」


と、質問されたので、ちょうどコルコバードを堪能してきた直後ということもあり、


「素晴らしい国ですね!」


と、答えると二人とも喜んでくれました。


その後も彼女を通じて、いくらか会話をした後、最後にちょっとはにかんだ表情をしながら、



「今晩パーティーあるんだけど、行かないの?」


と、質問されたので、


「パーティ? どこで?」


と、答えたら


「ここから歩いて15分ぐらいの所」


と、先ほどの群衆の所かとおもいきや、案外遠い所で開催されるみたいだったのと、よくよく聞いてみると若者向けのダンスパーティらしかったので、そんなところに一人で行ってもかえって寂しいだけなので、曖昧な返事をしておきました。







その後、部屋に荷物を運び入れます。


清掃も行き届いていて、なかなか良い感じです。










部屋はこんな感じです。


白人の女性が居たので挨拶をすると、彼女は完全に酔っ払った感じで
「ハ〜イ」と返事をしてきます。


私はすぐに荷物の整理にかかっていたので、少し後で気がついたのですが、実は彼女はなぜかタオル一丁なのでした。

少しでも動くと胸のあたりがずり落ちるらしく、それを引き上げながら話しかけてくるので、その後彼女を正視して話ことが全くできませんでした。タオルの下に下着を着ていたのかどうかはわかりません。タオルの下が写っている写真を見てみたい人はこちらをどうぞ。

というような状況でこちらのほうが恥ずかしいので、ひとまずシャワーだけ浴びさせてもらい(部屋の中にあります)、逃げるように料理セットを持って下に降りると、白人の若い(30歳前後)女性がおばあちゃんとスペイン語で話し込んでいたので、彼女に通訳をお願いして「料理をしたいので場所を貸して欲しい」とおばあちゃんに伝えてもらいました。


すると、宿正面のテーブルを使っていいよとのことだったので、そこで済ませることにします。


テーブルにはきちんとビニールカバーがしてあり、こりゃぁ、アルコールこぼしたらマズイなと思っていたにも関わらず、こんな時に限ってアルコールがこぼれていることに気づかないまま火をつけてしまい、あっと言う間に机の上が小火災状態になるではないですか!

慌てて息を噴きかけたのですが、そんなものでアルコールの火が消える訳もなく、ひとまず火が着いたままのアルコールストーブを直接手で持って地面に移し、使ってなかったコッヘルで炎を蓋して火を消しました。

(と、書くと流れるように対処したように読めてしまいますが、実際には手を火傷するわ、慌てふためいてオロオロするわで一人で大騒ぎしていました)

そして、きちんと貼られていたテーブルのビニールシートは哀れアルコールランプの形で黒焦げになってしまったのでした。。。


こりゃぁ、謝って弁償するしか無いなと思って、すぐに先ほどの白人女性に声をかけておばあちゃんに事情を説明してもらいます。


焦げたところを見たおばあちゃんは、


「いいのよ、そのぐらい。新しいのに交換すればいいんだから」


と、白人女性を通じて優しい言葉をかけてくれたのでした。

本当に申し訳ありません。。。



机の上でアルコールランプを使うのはやめようと決意して、地面で料理を開始します。

すると、白人の女性が、


「あなたの料理に興味があると言ってるわよ」


と、おばあちゃんの台詞を通訳して伝えてくれたのですが、私が作っているのは恒例のスパゲティ。(一応たらこ味ではありますが・・・)


「スパゲティなんですけど・・・」


と、返事をし、彼女がそれをおばあちゃんに伝えると、ちょっとがっかりした様子で受付の方に戻って行かれました。

蕎麦でも持ってきたほうが良かったですかね・・・









というわけで、本日もスパゲティに豚肉、あとはプロテインのゴールデントリオです。

(写真の左側の黒い丸の線が私がやらかした焦げです)



スパゲティを食べていたら、白人の男性が「チョップスティーック!」と叫ぶので何事かと思ったら、スパゲティを箸で食べるのが珍しかったのだとか。


確かにそうですね。(箸一本で大抵の物を食べられるから便利なのですが)








食べ終わった後は白人の女性の方とお互いの旅の話で盛り上がりました。(手前がおばあちゃんの娘さん、奥が白人の方)


彼女はアメリカ出身でコスタリカが大好きで、よく遊びに来ているのだとか。(だからスペイン語がペラペラなんですかね?)


彼女はアランさんと一緒で私に気を遣って丁寧かつゆっくりと発音してくれるので会話が成立していたのですが、話の流れでカブトムシの話をしようとしたときになぜか英語で何と言うかとっさに思い出せず、「えーっと、それは昆虫で、大きくて、硬くて、重たくて、こう、(角が)生えていて・・・」と身振り手振りを交えて説明をしていたら「ビートル?」と彼女がつぶやいたので「そう、ビートル!」と、思わず絶叫してしまいました。

この傍から見たらかなりバカっぽい説明、本日2回目です。
(もっと英語を勉強せねば・・・)



「ところで明日のお祭り、一緒に行かない?」



と、誘われたので、どんな祭りか尋ねてみたところ、闘牛やら牛乗りが開催されるもので、女性も参加するんだと言うので、「あなたもチャレンジするんですか?」と尋ねたら、「私は見るだけよ」と笑ってました。午後から開催されるということだったのですが、明日は残念ながら宿の予約ありの移動日だったので、お断りしてしまいました。

せっかくのお誘いですし、時間があったら参加してみたかったんですけどね〜。


「そろそろ寝る時間ね」


と、彼女が階段に向かって歩き始めたので


「今日は通訳と楽しい時間をありがとう、おやすみなさい」


と、声をかけると、


「私、人とのコミュニケーションが好きなの。じゃ、おやすみなさい」


と、かっちょいい台詞を残して階段を登っていき部屋へと消えて行きました。


なんとまぁ、知的で魅力あふれる女性なんでしょう。「human being」なんて単語、久しぶりに聞きましたし、あんな台詞、なかなか言えません。


さて、明日以降の情報を調べようかとノートPCを手にとった所で、今度は先程「チョップスティーック!」と絶叫していた白人男性が声をかけてきました。


再び旅の話になり、「クロコダイルは見た?」と質問されたので、「いいえ」と答えると、「実はこの街で見られるんだよ」と、言うので詳しく聞いてみると、街中を流れる川に普通にワニが居るんだとか。


壁に貼ってあった地図で場所を教えてもらったので、明日の朝、出発前にでも行ってみようと決めました。


彼はドイツから来た方で、「中国にしろ日本の東京にしろ、信じられない大きさだよね。僕が住んでる都市(たぶんハンブルク)はドイツで2番目に大きい街なのに人口150万人だからね」と、世界各地を旅されているようで、日本のこともいろいろご存知のようでした。



その彼も先に部屋に戻ってしまい、ひとりきりになったところで、改めてノートPCで明日以降の旅の計画を練り直しました。








原付クラスのバイクの音がしたので顔を上げると、男性が1名宿の前に立っています。
しばらくして、おばあちゃんの娘さんが出てきて、バイクの後ろに乗って出かけていったので、彼氏と二人でパーティーに出かけたんだと思います。









22時を回った所で宿の電気が消え、おばあちゃんが小さなろうそくをテーブルの上に置き、たどたどしい英語で「蚊に気をつけるのよ」と声をかけてくれました。

南アフリカで買った蚊よけを見せて大丈夫だということを伝えると、スペイン語で「薬持ってるのね」みたいなニュアンスの言葉を発した後、「鍵をちゃんとかけるのよ」というジェスチャーをしてから部屋に戻って行かれました。


2011年の最後の日、この宿にして良かったと心の底から思った瞬間でした。


携帯の電波がつながるのでメールチェックをすると、ゴジツアーズさんから、まだ確定していなかった4日後に宿泊予定の宿についての予約状況とガイドツアーに参加するなら14時までに到着して欲しいという内容のメールが届いていたので、「了解しました」と返信を打っておきました。ちょっと予定を考えなおさなければならなさそうですが、まだ先の話なので後にしておきました。


プエルトヒメネスは小さな街ですが、さすがに大晦日なだけあってダンスミュージックが鳴り響き、あちらこちらで散発的に小さな花火が打ち上がり始めました。



年越しの様子がどんな感じか見てみようかと、少し散策して見ることにします。



ノートPCをしまいに一度部屋に戻ると、白人男性の若者3名が部屋に戻ってきていて、件の酔っぱらいの女性と旅の情報交換をしていました。(ちなみに彼女はタオル一丁のままでした)


その会話には加わらずに、すぐに街に繰り出します。


ダンスミュージックの音源はバーやパーティ会場ではなくてバックパッカーズハウスでした。名前を見るとここも宿泊候補地の一つだったので、そこにしなくて良かったと心底思いました。(うるさくて寝られなかったと思います)








バーはまだ営業してますね。

とは言え、街中は人影も少なくひっそりとしています。

(たぶん、人が集まっている場所はあるのでしょうが)




そう言えばコスタリカに到着してから何回か耳にした「ピヨピヨ」という音はトラックがバックするときに発する警告音なんだと(人気が少ない)ここでわかりました。







お〜、屋台ですね。

夕飯済ませて歯を磨いていなければチャレンジしたかったのですが・・・



さて、だいたい見て回りました(というか、人が集まっている場所を発見出来なかった)ので、一度宿に戻り、宿の前のテーブルでノートPC開いて明日の予定を考え始めました。




そして、ふと気がつくと思いっきり寝落ちしてました。








慌てて時計を見ると、0時半。


なんと、こんなところでノートPC膝に置いて寝落ちしてる間に年越ししてしまいました!



あけましておめでとうございます。




寝るか!


おやすみなさい!





つづく