ケニアドライブ旅行記
その1



旅の計画と準備



お盆の小笠原旅行なんかが一段落した2012年9月ごろ、年末大ジャンプの行き先を考え始めました。



今回は休日のつながりが良くて、12月28日(金)の夜から祝日の1月14日(月)までの18日間も行けそうです。


これまでの年末大ジャンプではオセアニア(NZ、AU)から始まって、南米→アフリカ→中米と来たので次はアジア大陸あたりを考えていたのですが、アジアでレンタカーを使って走り回れそ うな場所がすぐに思いつきませんでした。(インドが候補に上がり、調べたらレンタカー会社が無いとか(笑))


そこで、これまでのように安 売りチケットを販売しているホームページを眺めながら、最初に目についたナイロビ行きのチケットを選択してしまいました。


エティハド航空を使うそのチケットは年末年始にしては 安かったのですが、いざ精算手続きに進むと燃料サーチャージ料金が信じられないぐらい高くて(5万円弱)結局ぜんぜん安くなかったです。産油国の航空会社なんだから もう少し安くしてくれても いいのに。。。


日程と行き先がフィックしたのですぐにレンタカーも大手レンタカー会社(ユーロカー)で押さえてしまい、これでひとまず最低限の準備は完了しました。


あとはケニアとタンザニア(お隣)のロンプラを入手してざっと眺めた結果、「(コスタリカと違って)行きたいところはたくさんありそうだ!」と認識した後は特に具体的な計画も立てずに放っ たら かしにしておりました。



そのまま12月に突入し、さすがにそろそろ動かないとまずいと思い旅の計画を立て始めます。


調べてみるとケニアだけでも滞在16日間の予定が埋まりそうな勢いだったので、予め申し込んでいたタンザニアに越境するためのクロスボーダーライセンス (なんと1万6000千円)をキャンセルするためにイギリスのエージェント会社にメールを打ったのですが、エージェント会社の先にあるケニアのユーロカーから返信が来ないとのことで手続きが完了出来ません。
まぁ、これはそのうちなんとかなるだろうと放っておきます。


ケニアの行きたい場所とそれぞれの希望滞在日数をリストアップしてエクセルで並べ直 し、Google mapで道を調べて計画らしきものが完成したのが出発の2週間前。


後は事前予約が必要そうなところに予約を入れます。



前回のコスタリカ旅行では日本人が経 営する現地のエージェント会社を利用し、日本語でやり取りができるので便利だったのですが、一方で細かな要望すべてに対応してもらえるわけではなく、意図 しないキャンセル代がかかったりもしたので、トータルで考えると自分の旅のスタイルにはあってなかったと判断して今回はすべて自分でやりました。(何よりも英語で完結できるってのが大きいですね)


特にダイビングサービス選びは前回の反省を活かして初心者 と経験者を分けてくれそうなところをチョイスできたので事前の納得度は高かったです。(5〜6軒ぐらいのダイビングサービスに「あなたのところでこんな (上級者向けそうな)ダ イビングポイントでこんな魚の群れは見れますか?」とメールを投げて返信の内容からサービスの運営方針を推測して決めました)


今回借りるレンタカーにはカーナビが付いているらしく(しかも無料!)チャイパッドの出番は無いなと思ったのですが、持っていくスマホ(Galaxy Nexus)には念の為オフライン地図とナビゲーションルートを表示できるようにしておきました。もし、借りたカーナビがしょぼいものだった時のバック アップと、国立保護区のまっただ中(道だか なんだかわから ないような場所)を走るときにたぶん必要になるだろうと考えたからです。



ケニアに関しては旅行者数の割りに(年間1万数千人前後)知りたい情報が日本語で得にくく、旅行記にしてもほとんどの人 が日程の決まったツアーを利用していて、ガイド付きパッケージでサファリに行ったり登山したりといった感じで、レンタカーを借りて自力で旅をしている人が 皆無といった状況でした。(バックパッカー系の人も現地で「送迎付きツアー」に参加するので結局私の行動パターンとは違うんですよね)


そういう意味ではナイロビに住んでる方の日記はピンポイントの情報は得られないものの、かなり参考になりました。


結局、「国立保護区 内を個人がレンタカーで走 り回れるのかどうか」、とか「登山は単独でしてもOKなのか」みたいな情報は英語で調べなければなりませんでした。
そんな中、まさに調べてる最中にロンプラ主催の旅行者掲示板(英語)が一時閉鎖になってし まったのは痛かったです。
(帰国後に再開してました。なんとバットタイミング)



あれこれ調べていると、かつてはアフリカの優等生と言われていたケニアが実は南アフリカやナミビアほど安全な国ではないことが判明しました。(ナイロビの夜間の治安が悪いことぐらいは知ってましたが、「国全体が」とい認識はまったくありませんでした)


ちなみに、出発前にはこんな事件が発生してました。


バス爆発で5人死亡 ケニア首都(2012年11月19日)

ナイロビで爆発、11人死傷 ケニア今週2度目(2012年12月08日)



外務省が出している情報や現地の日本人コ ミュニティの情報を頼りに行っちゃいけない ところをリストから外し、強盗が出没するルートを避けるように計画を組み、車中泊や安宿の予定だったところはまともなホテルの予約を入れるなど計画を練り直しました。(これで人類の起源を訪ねるトゥルカナ湖が候補地から外れてしまいました)


さらに、出発1週間前にはこんな事件も起こりました。

民族対立で39人死亡 ケニア南東部(2012年12月21日)








とは言え、外務省が出している「十分注意してください」エリア内を慎重に行動すれば基本的には問題ないんだろうぐらいの認識ではおりました。


しかし、実際には私が帰国した直後に人質立てこもり事件が起こったアルジェリアのイナメナス と変わらないぐらい危険なエリアを含む国だと知ったのは、この悲惨な事件がきっかけでした。




こ れがアルジェリアの件に関連して出てきた情報で、アフリカ諸国のリスク状況を英調査会社エクスクルーシブ・アナリシスが青→黄→赤の順に危険度が上がるよ うに示したリスクマップです。前回行った南アフリカやナミビアはこうして見ると都市部を除けば実はリスクが低くかったわけです。


あと、現地に住 んでいる人のブログを読むと、ケニアではコスタリカで体験した悪路と変わらないぐらい穴だらけの道が多くて運転マナーも悪いという情報も入手し、夜間に治安が悪くなるという状況の中で予定していた時間で目的地に到着できないんじゃないか という気もしてきて、「楽しい旅に出かけるんだ」というウキウキした期待感よりも、「果たしてトラブルに巻き込まれたり事故らず無事に帰ってこれるんだろうか?」という気持ちのほうがだんだん大きくなって行きました。




後は入国に際して最低限必要となるイエローカード取得のために黄熱病の予防接種を受けたりケニア共和国大使館に2回も足を運んでビザを取得したりと準備は進んでいきました。(結果論だけ言 うと ケニアを往復するだけならイエローカードの提示は求められませんし(もちろん自己責任)、ビザも現地の空港イミグレで簡単かつ少し安く取得できます)


さらに年末大ジャンプ恒例となったケニアに関する本を買い漁りました。これをしないと旅の面白さが大分落ちますからね。読むのは出発してからになっちゃうんですが、これは早ければ早いほうが良いと後で思いました。(計画準備に一杯一杯で読む余裕を持てないのがダメですね)


あとは暇さえあれば現地の情報をネタバレしない範囲で可能な限り調べ、計画を現実性あるものに仕上げたり微修正したりしました。



出発寸前の休日には旅行グッズや食料の買い出しに出かけました。


SDカードを買い足そうと電気屋の中を歩いている時に飛行機のチケット買った会社から電話がかかってきて、電話に出るなりいきなり謝 られたので血の気が引いたのですが、話の内容は「オーバーブッキングになってしまったので、乗り継ぎや出発時間で有利なカター ル航空へ移動してもらえませんか?」というものだったので、胸をなでおろしました。(エティハドだと夕 方出発、カタール航空は夜出発、しかもナイロビに到着するのはカタール航空のほうが先で、乗り換え回数も1回減ると良い事ずくめ) これは2つ返事でOKしました。

しょっぱなに血の気が引いたこともあって結果があまりに嬉しかったので 「いやぁ、何事かと思ってびっくりしましたよ。でも、かえってよかったです」と気持ちを伝えた所、「すみません、電波状況が悪いみたい なのでもう一度お願い出来ますか?」と返され、同じ台詞をテレビ通販に出てくる素人風のおばちゃんみたいに精一杯感情を込めて合計4回も電気屋の店内で繰り返し喋らされるという罰ゲームが最後に待ってました。






12月28日(金)(初日)






忘れ物をしないようにチェックリストを作成したまではよかったのですが、実際にパッキングを始めるとアレが見つからない、これが見つからないとどうにも捗 りません。


そんなわけで、パッキングは全然終わってなかったのですが、長期に家を空ける前にパソコンのデータバックアップぐらいはしておこうと思い立ちました。バッ クアップ用ハードディスク(前から購入はしてあった)を増設してみたところ、これがなぜか認識されなくて(3TBのHDDは特殊な処 理が必要)時間を浪費してしまい、挙げ句の果てには突然パソコンのBIOSすら起動しなくなって大パニック。旅の情報も持ち物チェックリストもすべてパソ コンの中です。。。


こんな日にやらなきゃよかったと半べそかきながら一度ハードウェアを全部ばらし(自作PCです)、それが原因で2次災害まで起こしたりしてなんとか復旧し たのが 出発予定時刻の4時間前。


なんとかデータバックアップを開始できてほっと一安心。


8割がたパッキングも終わりかけていたのと、今日を逃すと2週間以上も筋トレ出来ないからと半ば意地でジムに行ったりしたもんだから出発まで1時間切ってる のにパッキングが完了してないという始 末。


我ながら何やってるんだか・・・



カタール航空へのチェンジがなかったらパッキングが間に合ってなかったと思います。
(いや、HDDバックアップとかジムとかいろいろ諦めてたとは思いますが)


あとはレンタカーのクロスボーダーライセンスのキャンセル手続きがユーロカーから相変わらず返事が来ないとかで未だに完了してないのですが、これは現地で直接交渉するしかなさそうです。



それでもなんとか出発5分前にはパッキングを完了し、ザックの上蓋を締めようとした所で槍ヶ岳登山の時にバックルの縫い糸が解け たままにしていたことに今更気が付きました。



って、まじか!



荷物満載じゃなければバックルが1つぐらい閉じられなくてもなんとかなるのですが、2週間分の食料を満載にしたザックはパンパンに膨らんでおり、このままでは歩いてる最中に中の物が落ちてしまいそうです。


というわけでそのまま出発するわけにもいかず、パニックになりながら裁縫道具を引っ張り出してきて縫い付け作業を開始します。

しかし、元来の不器用さに加えてチョイスした針が細すぎて穴 に糸を通すことが出来ないままあっという間に出発予定時刻を過ぎてしまいました。



ここで深呼吸をして「出発予定時刻は2時間半前に成田空港に到着できるように設定したんだから、2時間前到着に変更しても大丈夫」と考えなおし、まずは気分を落ち着かせます。


糸と針を選び直してなんとか穴に糸を通し、見た目が悪いながらも縫い付けることが出来まし た。



縫いつけの最後、玉止めするための糸の長さが足りず、針を外して超適当に玉結びにして作業完了。



OK!



ん?



縫いつけ方間違えた!!

(ナイロン紐をバックルに輪っか状に通してから縫い付けなければならなかったのでした)



そして、再度最初からやり直しするはめに。。。



なんか、糸が途中で空中に飛び出したりしていてかなり無茶苦茶ですがなんとか縫い付けられた気がします。



とりあえず荷物がパンパンなのはナイロビでレンタカーに乗りこむまででしょうから、最低限そこまで持ちこたえてくれればOKなはずです。


ということで、治ったことにしましょう!


裁縫道具を片付けるときに最後にザックに入れる予定だった予備SDカード一式がソファーに置いてあるのに気が付き、なんかもう一度全部忘れ物チェックをやり直したい 気分になったのですが、さすがにそれは止めておきつつも、一応、パスポートにビザ、イエローカードに国際免許証とクレジットカードとEチケットだけは目視確認しました。


さて、もう一度列車の乗り継ぎを調べ直さねば・・・




その2へ