4月16日(木)

この日は天気予報が芳しくなかったので、イングランド南部のジュラシック・コーストへ向かった。

名前の通りジュラ紀の化石がたくさん取れるので、ハンマーを日本から持参して探してみた。(ベージュ色のやつは化石ではないと近所の博物館の学芸員のお姉さんに教えてもらった)
コツを早く掴んでれば、もっと良いのがたくさん取れたのになぁ。

化石探しに熱中しすぎたのと、プリペイドSIMの入手で時間を食ったので、あわてて北上してB&Bで宿泊。
今日一日でいったい何台のマツダロードスターに出会ったんだろう。
(日本とは比較にならない頻度のすごい数のマツダロードスターが走っていた)
4月17日(火)

朝からウェールズ地方のスノードニア国立公園へ。
今回借りた車はゴルフポロの同格車ということでVAUXHALL(GMのイギリスブランド)のコルサ5という1200ccエンジンの車で、走行4000km程度のほぼ新車だった。
ユーロカー(レンタカー会社)のスタッフが「1200ccで長距離走るのはパワーが足りないから、もっと上のランクかディーゼルの車にしたほうがいいよ」って、かなりしつこく勧めてきたんだけど、1200ccでまったく問題なし。1200kgちょいに70馬力だけど、吹け上がり方が良くて数値以上にパワー感がある。
オペルとフィアットが共同開発したSCCSプラットフォームのMT車なので運転の楽しさがあることもちょっと期待したんだけど、さすがにそこまでではなかったのが惜しい感じ。
でも、景色を眺めて走るぶんには十分な車であった。
(以下、写真数枚)




ここまで。

続いてレイクディストリクト国立公園へ。
気象衛星画像を見ながら立ち寄り予定地を2つほどすっ飛ばし、ここで晴れるまで3時間以上待っていた。
(以下写真数枚)





4月18日(土)
レイクディストリクト国立公園がすごい気に入ったのと、朝から快晴だったので1時間ほどわざわざ南へ戻って再訪した。
(以下写真数枚)






ここまで。

A592号線

良いカーブが続く峠道で、ライダーがやたらとたくさん集まっていた。
峠の休憩施設でヘルメットを取った姿を見たら、日本と違って若いライダーが多かったのが印象的だった。

東へ移動中。

東へ移動中。

東の海岸部、ノースサンダーランドのバンバラ城。

バンバラ城近景。

ホーリー島に渡る道は残念ながら満潮に近い時間だったので水没中。
左のホットドック売ってる車はこんな場所で営業中だった。
イングランド北部から境界を超えてスコットランド南部へ。
この辺りはクラシックスポーツカーがやたらと走っていた。
そして、これが意外に速くてびっくり。
というか、イギリスは全体的に道が狭くて丘陵地帯に左右にくねった道を作っているので、なるほどこれならライトウェイトスポーツ文化が花開くわけだと一人で納得した。
フランスと同じで流れは速く、制限速度の時速80から100km弱でワインディングを走っていても追い抜かれることがしばしばある。

こんなところで化石探し。
残念ながらたいした化石は見つけられなかったけど楽しかった。
4月19日(日)

ここで念願の92年式のMX-5 Mk1に乗り換え。
と、思ったら、ユーノスロードスター(NA6)の中古車だった。
どうやら日本で使われていた車体が海を渡ってイギリスに来ていたらしい。(ニュージーランドにたくさん中古車が渡ったという話を聞いてはいたが、イギリス(の、しかもスコットランド)にまで運ばれているとは知らなかった)
イギリスにはネットで調べた限り、クラシックカーをメインで扱ってるここ以外にも3軒のMX-5を貸してくれるショップがネット上で見つかったのだが、1軒は問い合わせに対する返信無しで、残り2軒はユーロ圏以外の海外ドライバーには保険が適用できないので貸せないと既に断られていた。(2軒とも借りられれば6日間ともロードスターの旅に出来たのだが)
なので、ここも最後の最後、保険手続きで断られるんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、問題なく借りられて万々歳。
で、
「日本で同じ車に乗ってるよ!」
と、大アピールしていたのにもかかわらず、トノカバーをつける時に10ウン年前に一回しか付けたことが無いのでまごついてしまい、「こいつは本当にロードスターオーナーなのか?」と疑問に思われてしまったかもしれないが、どんまい。

というわけで、早速スコットランドハイランド(北部)の典型的な景色の中を駆け抜けてみる。
あぁ~、やっぱりロードスターはいいねぇ、って手放しで書きたいけど、さすがに、この個体は・・・。
よく見たら車体全体が錆びだらけで、いつ壊れてもおかしくないぐらいのボロンボロンの車体。
自分のロードスターがいかに前オーナー達に大事にされて保存状態の良いクルマだったかを再認識した次第。
(※これはこのブログを読んで真似するつもりの人に向けて敢えて書いたネガティブな感想。いろいろ調子が悪いところやすでに壊れているところが多くてユーノスロードスターの良いところだと”私が考えている部分”が一部失われている個体だったので。オープンカーでスコットランドを走ってみたい、調子が悪くても良いからユーノスロードスターでイギリスを旅してみたいということであれば是非どうぞ)
以下、写真数枚





A82号線、グレンコー手前の景色。
(以下、写真数枚)



A87号線。

A87号線。

アイリーンドナン城

今回のドライブ旅行のハイライトだと予想して楽しみにしていたスカイ島へ橋を渡って突入。
(以下、写真数枚)






食堂からこんな景色を拝めるB&Bに宿泊。
なんと幸せ。
4月20日(月)
引き続きスカイ島探索。





オールドマン・オブ・ストー(古代人のネクタイ)

岩の穴に太陽を入れてみたの図。
しっかし、駐車場からすぐに着くんだろうと思って何も知らずに登ったら、急いでるのに往復で1時間かかってしまった。
(途中まで元気よく登ってしまい、今更引くに引けなくなった)

スカイ島ここまで。
間違いなく今回のドライブ旅行のハイライトだった。
あと、訪問した2日間とも晴れたのはものすごくラッキーだったと思う。
下調べで読んだ他の人の旅行記は、かなりの確率で曇天になっているし。

続いて列車とすれ違い。
列車の写真はこれだけだけど、さすが鉄道王国だけあって、あちらこちらで走っているのを見かけた。

西側を北上中。

スコットランドハイランド西側の海岸線近くはカルスト台地になっている。
(以下、カルスト台地が延々と続く写真数枚)





ここまで。(数時間こんな景色が延々と続いた)
そして、この辺りで突然猛烈な吐き気と寒気が、、、、
これはもしかして、、、、今朝食べた目玉焼きの火が通ってなかったから、あれだろうか・・・
というわけで、久しぶりの食中毒発症。
こんな日に限ってえらい遠くのB&Bに予約を入れてしまっていたので休むに休めずひたすら走り続けるしか無く、荒涼とした台地を恨めしく眺めながらハンドルを握っていた。食中毒のかかりはじめの時に加速すると吐きそうになるということを初めて知った。
というか、後から考えれば素直に吐いておけばよかった。
この日の夜は料理自慢のB&Bで一切食事を取らずにベッドの上でのたうち回っていた。
4月21日(火)
あっという間に最終日。
なんとか具合が悪い状態も少し治まってきたので、気を取り直して東側の海岸線を南下。
荒涼とした西側と偉い違いのエレガントな海岸線が続く。

あちらこちらで見かけた菜の花畑。

ネス湖のほとりに佇む投石機で破壊されたアーカート城。

最後の立ち寄り地、ケアンゴーム国立公園
以下写真数枚。





最後は時間調整を兼ねてレンタカー屋さん近くのワインディングロードで思う存分運転を楽しんでから再びコルサに乗り換えてエジンバラ空港に移動。
同じ道をコルサで走ると新車同然だけあっていろいろよく出来ている部分は確かにあるけど、ユーノスロードスターはいくらボロンボロンでも3日も乗ってれば一体感をそれなりに得られるので、そうなると俄然楽しさは桁違いに上だったなと再認識した。
ただし、スコットランドハイランドは全体的にカーブが緩く、たとえ調子が良かったとしてもロードスターの美味しい部分が感じられる道は案外少ないと感じた。そういう意味ではレンタカー屋さんは良い場所に店を構えていたんだと最後の時間調整ひとっ走りで気がついた次第。なので、一番のおすすめの楽しみ方は1日だけ借りて周囲を走り回ることかも。それなら突然動かなくなっても最悪助けてもらえるし、景色はショップ周辺でも十分に見応えがあるので。
ちなみにスコットランドハイランドで見かけたロードスター(NB、NC)はすべて20~30代の女性がハンドルを握っていて、イングランドやウェールズで男性が運転していたのとは逆で、むしろアメリカによく似ていた。もしかしたら良いカーブの出現率とロードスター男性運転率の高さに正の相関があるんじゃないかと思ったほど。

というわけで、コルサで2000km、ロードスターで1500km、6日間で3500kmのドライブ旅行だった。(後述する理由で手元にGPSロガーが手元に無いのでGoogleマップで適当に軌跡を作成)
飛行機はエジンバラからロンドン(時差ボケ解消も兼ねて空港で徹夜でこの旅行記をほぼ完成させた)、パリと2回乗り継ぎの旅。
食中毒の症状が下痢に進まないまま具合が悪いのが収まったと喜んでいたら、エジンバラ空港近くのガソリンスタンドで何の前触れもなくゲリが突然始まってエアと勘違いしてパンツを濡らしてしまい、後始末に追われて飛行機に乗り遅れそうになった挙句に、たぶんそれが原因でエジンバラからロンドン間(ブリティッシュ・エアウェイズ)でバゲージディレイを食らうという散々な帰国になったのであった。(4月23日時点で未だに荷物到着の連絡は受け取っていない)
おしまい。