-------------インドネシア ドライブ旅行記(目次)
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5日目(12月31日(水))

500人制限で入れないのが嫌なので、朝食も食べずに6時に出発。
昨日の反省を生かして、狭い駐車場で無理やりUターンしてバックで停めておいたので、出発は楽ちん。

これがぶつけてしまったラトビア人グループの最新型アバンザ。
右前がおもいっきり凹んじゃっている。(裏から叩いて塗装すれば簡単に治るとは思うけど)
本当に申し訳ない!
(帰国してからしばらく経つけど請求とか来てないので、問題なく対応できたらしい)

さーて、登山口のある村に向かうか。
山の方の空は明るいけど、天気はどんなもんなんだろう?

朝食は昨日コンビニで買った菓子パン。
味は日本のものとさほど変わらず。

畑へ歩いて出勤する皆さん。
ケニアなんかでもよく見かけた光景。
(逆にブラジルなんかだと近代的な大規模農園ばかりで、こういう徒歩での出勤風景は見かけなかったかな)

あ! 噴煙が上がってるところをみると、あれがスメル山か!
今回スメル山を選んだ理由はジャワ島ナンバーワンの高さを誇るから
ではなく(3676mで富士山から比べてちょうど100m低く、インドネシアでは第3位の高さ)、元旦のご来光を見たかったからでもなく、この噴煙(小噴火)を間近で見てみたかったからである。
インドネシアの火山は全体的に活動期に入っていて、警戒レベル2とか3の山がたくさん存在している。
警戒レベル3だと火口から4km以内は立入禁止になってしまうらしいので(それでもゲートとかがあるわけじゃないので自己責任で火口付近に行くことはできるし、
行ってる人
は居るらしいが)、あれこれ調べて警戒レベル2で火口付近まで近づいても大丈夫そうな安定した小噴火を続けているこの山を選んだ次第である。
日程の関係で元旦のご来光見るタイミングで来てしまったが、本音を言えば天気予報やら日程の都合がつくなら日にちは後ろにずらしたかった。
(天気予報によると明日を最後に日を追うごとに悪化するらしい)

途中、小さな村をいくつも越えながら、登り坂をグングン登っていく。

まるで尾根沿いの登山道のような林道である。
昔旅した人の旅行記に書かれていた内容と違って道路はちゃんと舗装されていて、これなら問題なく登山口までアバンザで辿り着けそう。

景色も素晴らしく、走っていてすごく楽しい。

今のところバイクとのすれ違いしか経験してないから問題ないんだけど、道幅はちょっと狭いのだけが難点。

車から降りて撮影するとこんな感じ。
片輪を落とさないとすれ違えない道幅。

途中にゲート付きの小屋があって、おじさんが入山用料を払うように言ってきたのだけど、見た感じここはオフィシャルな建物じゃなくてただの旅行代理店のよ
うな気がして、ここでは買わないことにした。
(それで正解だった。でも、ここで入山チケットを買っても、登山口で買っても値段は一緒だったので結論を言えば払っても払わなくてもどちらでも良かった)

その後、道の状態は悪くなりつつも、一応舗装されている状態が続いていて助かる。
昨日宿泊した宿のスタッフによるとアバンザで登山口まで行けるという話だったので、きっとこんな道が続くのだろう。

この辺りは山をそのまんま茶畑にした風景が続いていて、実に圧巻。

いやぁ〜、これはすごい。

ここが道中にある最後の村かな?

ブロモ山が形成する巨大なカルデラの淵に到着した。
ちょうど外輪山の縁を走ってるわけだけど、この光景にはさすがに声が出た。
いやぁ、スゴイスゴイ!

車窓から眺めるだけじゃもったいないので、車から降りてみた。
いやぁ、空いてる早朝に走ってきてよかった。
(ブロモ山は大人気の観光地なので、昼間になったら次々に車やバイクがやって来て、とても停めて眺めてられる状況じゃなかったはず)

振り返れば相変わらずスメル山が噴煙を上げている。
あれを間近で見られるのが楽しみ!

ここがスメル山方面とブロモ山方面の分岐点。
数台停まっているオジェック(バイクタクシー)の運転手がこちらを見つめて、私が客なのかどうか品定めをしているらしい。
昨日、宿でラトビア人グループがレセプションを長い時間占拠していたのは、ここから先ブロモ山方面に行くにはバイクかジープ(こちらでは、トヨタランクル40系のこと
をジープと呼んでいる)を手配する必要があり、宿が保有する
ジープが1月2日まで埋まっていて、そこをなんとか出来ないか延々と交渉していたからである。

それはともかく、いやぁ、すごいなぁ。

これぞ海外ドライブの醍醐味という感じの景色。

なるほど、ブロモ山周辺ってこういうスケールの景色だったんだ。
地球の歩き方や旅行ブログに掲載されている小さな写真だとわからなかったんだけど、こりゃぁ感動するわ。

道は外輪山の淵を外れてスメル山の登山口のある村へと下っていく。
そして、最後の最後に舗装が荒れて酷い悪路に変わった。

バイクに旗立てて、まるで北海道一周中のミツバチ族(本州から北海道に走りに来るライダー)みたいだな。
(昭和ライダーしか知らない言葉のはず。正しい解説はこちらをどうぞ)

村の周囲にも大規模な茶畑が広がっている。

というわけで、登山口があるラニュパニ村に到着したわけだが、ここはGoogleマップに名前すら出てこない村だし、日本語で書かれた登山記でも山間の小
さな村という雰囲気で書かれていたのできっとそうなんだろうと思っていたのだが、意外に面積のでかい村で驚いた。
というか、どこに登山口があって、どこでガイドを雇ったらいいんだろう?

よくわからないまま、舗装状態の良くない道を村の奥へと進んでいく。

うーむ、登山口はどこにあるんだろう?

そんなかんじで彷徨いながら走っていたら、登山する格好をした若者が屯している駐車場らしき広場があったので、とりあえずそこに車を停めてみた。
しかし、周囲に登山口や管理事務所っぽい建物が無かったので、ここは違うと判断して再び奥へ進んでみることにした。

駐車場から奥に進むには手動で動かしてもらうゲートを越えねばならず、道もこんな感じで何か間違えてる感満点なのだが、とりあえず進んでみることにした。

駐車場から300mほど走ったところで、昨晩宿のスタッフにガイドを雇う場所として教えてもらったWarungBagusを発見した。
周囲に自家用車が一台も停まってないところをみると、どうやら先程の大きな場所が一般用の駐車場で、ここまでは歩いて来なければならかったっぽいけど、
まぁいいや。
周囲には登山をする格好をした若者たちがたくさん屯しているので、登山口はこの近くのどこかにあるのだろう。
まずは適当な空きスペースに車を路駐させ、WarungBagusに入った。

建物の中は旅行代理店機能と食堂がセットになっていて、カウンターにはレンタルの登山ギアを借りに来た若者が男性スタッフとやり取りをしていた。
その後、自分の番がまわってきたので、ガイドを頼もうとスタッフに声をかけたら、なんとスタッフに英語がまったく通じないではないか。
ブロモ山ほどではないにせよ、スメル山もそこそこの観光地だと思っていたのでこれは想定外だった。

仕方なしに筆談で交渉開始。
一番上の絵は駐車場がさきほどの広場で合ってるか確認していたところ。
スタッフと絵を使って苦労しながら話をしていたら、後から英語が話せる若い男性がやってきて、聞けば彼はガイドだとのこと。
これでようやく直接交渉することが出来るようになった。
料金は宿で聞いていたよりも少し安くて2日で6000円。(事前に宿から聞いてた話だと、英語の話せるガイド2日で7000円、ポーターは2日で3000円)
当初の予定ではガイドは雇わずポーターを1人だけ雇ってガイドの代わり簡単な道案内だけしてもらい、そのポーターに車に残しておけない貴重品やら2日目の
水なんかを持ち歩いてもらいたかったのだが、今目の前に居る彼の英語力は確かでガイドとしても信用できそうだと感じたので、料金は高いけど彼にガイドを頼
むことにした。
そして、「ポーターは雇いたくないんでちょっと追加で荷物運びも手伝って欲しいんだけど」とお願いすると、かなり渋々だが受けてくれた。
さらに、山頂アタックは天候次第なので、確実に行けるということは保証はできないと何度も念を押された。
こちらはご来光目的じゃなくて噴火見学目的なので、スケジュールに余裕があるので天候回復まで待てるということを伝えたら、それなら可能性は上がるという
話で落ち着いた。
では、一緒に行こうかというところで「実はガイドはこいつがやるんだよ」と、全然別の若い男性を突然連れてきたので、「え?彼は英語話せるの?」と尋ねる
と、「少しだけ」とのこと。
そっか、やっぱり荷物運びが追加されたガイドは嫌だったのかね。
しかし、英語が少ししか話せないガイドだと自分にとってはポーターを雇うのと役割としては変わらなくなってしまうので、「じゃぁ、5000円なら雇っても
いいよ」と値下げ交渉をしかけてみると、「それでいいよ」、とのことで話がまとまった。
あとは入山手続きが必要という話になり、WarungBagusから少し戻った所にある管理事務所に顔を出した。

管理事務所はすでに登山目当ての若者たちでごった返していた。
受付で同じ書類を2枚渡され何やらインドネシア語で説明を受けたのだがさっぱり意味がわからず(こんな時に必要なガイド
は自分の側に居ない)、なんとなく雰囲気で別棟でブリーフィングを受ける必要があるんだと理解して、さらに下にある建物へ移動した。

どうやら、ここでブリーフィングを受けるらしい。
中に入るも何をしていいのかさっぱりわからないでいると、英語が話せる親切な登山者(30歳ぐらいの男性)が話しかけてきてくれ、あれこれと面倒を見てく
れた。

渡された紙はどうやら装備品を全て申告するためのものらしく、テントとか寝袋、お米みたいな項目に自分たちが持参した数量を記入するようだった。
(要は登山届で日本のやつに比べて遥かに詳細版になっている)
同じ書類を2枚渡されたのは1枚は提出用でもう一枚は自分用ってことで、それならカーボンコピーにしてくれればいいのにと思いつつ、2枚に同じ内容を記入した。
その後、フリーフィングが始まり、湖で泳いではダメなどの簡単な説明を受けた後、ブリーフィングを受けた証明として書類に判子を押してもらい、上の受付建
物に戻ってパスポートのコピー、健
康証明書、そしてこのドキュメントを提出して入山料(1日分で良かったのか? それしか請求されなかったけど)を払って、ようやく入山手続が完了した。
路駐させていた車を駐車場に移動させて登山の準備を済ませてから管理事務所まで戻ってくると頼んでいたガイドの男性がやってきて、

「俺は行けなくなったから、こちらのバークレーさんにお願いしたよ。値段も4000円にしとくね。よろしく!」
と、突然年配のおじさんにバトンタッチされてしまった。
インドネシアの商談術、恐るべし!
と、思いつつ、「彼は英語を話せるの?」と、尋ねると、「いや、まったくダメ」とのこと。
これじゃぁ、完全にポーターなので、「じゃぁ3000円でいいよね」とガイドの子に確認すると、「いいよ」と即答されたので、当初の予定通り英語の話せな
いポーターに貴重品(登山では使わないタブレットとか使わない予備のカメラとか)と水を預けて、簡単な道案内も頼むことにした。
逆にポーターを雇ったのだから自分の登山道具一式を持たせて殿様登山でも良いわけだが、それはせずに普段テント泊するのに必要な装備は全部自分で背負っ
た。
そうしないと自力で登ったことにならないしね。
というわけで、相当ドタバタしたけど、ようやく登山の準備が整った。
では、いざ出発!
つづく